問50以下では、人が自らの罪を知るのは、どこにおいてかが述べられています。それは、主イエス・キリストを知ることにおいてです。人は罪を責められて罪を自覚するのではなく、罪赦されていることを知ることで罪の自覚をするのです。キリストこそ、罪の赦しなる方だからです。
赦されて罪を知るのですから、罪を自覚することは既に赦しにあってのこととして救いの始まりなのです。罪を罪として知らない、それが最も罪深いことなのです。