問162では、「そのような『終わり』を知るものとして、わたしたちは、どのように生きるべきでしょうか」と問います。答えは、「来たりつつある主を待ち望みながら、『終わりの日』に備えて生きるのです」です。
「メメントモリ」(死・終末を覚えて)は中世の敬虔な修道士の挨拶として知られています。終わりの日の裁きと救いの完成を覚えて今を生きる、それがキリスト者の生活、というのです。裁きをもって神は罪を一掃し、私共を完全なものとしてくださることを覚えて、神への信頼と神を証しする生活に生きることを言っています。死を覚え今を相対化して生きることは大切です。