問88では、「では、イエスさまが十字架にかけられて死なれたのは、罪人の仕業である以上に神さまの積極的な和解の行為であったといえるのですね」と問います。答えは、「そうです。神さまの救いの御意思によって、罪の極点が、和解と赦しの極点であったのです」です。 罪の裁きと赦しとが一つとなっているところそれが主イエス・キリストの十字架です。私共は主の十字架に罪裁かれ赦されているのです。