《教理一口メモ》(73)
教理一口メモの71と72では終末における救いの完成についてのお話でした。ですからキリスト者は、救いの完成としての終末を待ち望んでいるのです。キリスト信仰は、待望と想起にあります。想起とは、キリストにある救いを思い起こすということであり、待望とは主キリストにある終わりの日の救いの完成を待ち望むということです。
日々に主にある救いの恵みを思い、また、完全な者とされる恵みを思いつつの歩みであればと思います。
《教理一口メモ》(73)
教理一口メモの71と72では終末における救いの完成についてのお話でした。ですからキリスト者は、救いの完成としての終末を待ち望んでいるのです。キリスト信仰は、待望と想起にあります。想起とは、キリストにある救いを思い起こすということであり、待望とは主キリストにある終わりの日の救いの完成を待ち望むということです。
日々に主にある救いの恵みを思い、また、完全な者とされる恵みを思いつつの歩みであればと思います。