旧約聖書は、救い主を待ち望む、待望としての信仰で、新約聖書は、お出で下さった救い主を待ち望む、想起としての信仰です。救いなる主イエス・キリストが、既にお出で下さっていることを想い起こすことで、私共が救いの中にあることを想い起こし、また、私共の救いの完成のために再びお出で下さる主イエス・キリストを待ち望む、それが私共の信仰です。