「復讐するは我にあり」(申命記32:35)と神は、言われます。人は、親しいがゆえに、憎しみ(報復)もします。神は、その憎しみを神に申し述べよ(祈れ)と言われているのです。神に憎しみを申し述べること、そこに信仰があります。何故なら、憎しみを祈ることで、憎しみをも神に委ねているのですから、神が引き受けていてくださるのですから憎しみに捕らわれなくてよい、自由にされているということだからです。