近頃は、家族葬等、関係者に伝えることなく葬りが行われている。人間関係が希薄になり、多くの人に連絡を取っての葬儀は鬱陶しいのであろう。神は、神に似る者として人を造り、甚だ良かったと言ってくださった。人の存在を尊しとして下さったのである。人知れずの葬りは、その存在をなかったものにすることであり、存在しなかった者として扱うこと。神なく、時代の悪しき風(悪魔の誘い)である。同じ時代を生き、同じ職場で励み、友としての良き交わりに生きた者として共々に存在を確かめ合う(葬儀)こそ個人への愛を尽くすことであり、神の良しとするところと言える。