公文書の書き換えが、問題となっている。忖度だの役所防衛だの保身だのと言われているが、何よりもの問題は、神への畏敬の喪失といえよう。かつて日本人は、人が見ていなくても、お天道様が見ていると、人を超えた存在への畏敬の念を持っていた。ゆえに「恥ずかしくない生き方」に励んだ。信仰心なき人は、人を恐れ、真実を隠すことをも良しとしているなら、その人に真実はない。金と力はあっても真実がないなら、入力されて動く機械に過ぎない。神を畏敬するところに人の真実が、人に諂う必要のない自由がある。