前回の続きだが、キリスト者として災害時における日常性の確保とは何かということになる。キリスト者、それは神を礼拝する神の民と言える。であればキリスト者としての日常性の確保とは、「み言葉に聞き、祈り、礼拝する」ことにあると言えます。
キリスト者として身に着けている「み言葉に聞き、祈り、礼拝する」習慣こそが、自らを失わず、自分を愛することに他ならない。日々の祈りと週毎の礼拝が大切と言える。