ようこそ松沢教会へ
1931年(昭和6年)、賀川豊彦牧師により創立され、以来90年以上に渡り、上北沢でキリスト教布教活動を続けてきました。松沢教会は全国最大規模の1700の教会が所属する日本基督教団(プロテスタント教会)に所属しており、その活動は多岐に渡っています。
毎週日曜日の主日礼拝を中心とした礼拝、祈祷会、講演会、コンサート、バザー、ボランティア活動などを通しての幅広い活動に基づく教会を目指しています。
主日礼拝では伝統の聖歌隊が奉唱し、パイプオルガン(Paul Ott社製 )は、1972年に奉献され会衆讃美を支えています。
お知らせ:現在聖歌隊の主日礼拝奉唱は新型コロナ・ウィルス感染症防止の為、休止となっております。
【2023年度 年間主題】 「平和を祈る」 マタイによる福音書5章9節
- Paul Ott社1972年製パイプオルガン
沿革
1923年(大正12年)9月、賀川豊彦は関東大震災の救護支援の為、当時伝道の拠点であった神戸より上京。その後、松沢(現在の上北沢)で伝道活動を開始しました。1931年に全国の賀川の賛同者に呼びかけ、教会堂(現在は教会隣の賀川資料館に保存)を建設し、松沢教会の歩みが始まり、賀川豊彦の伝道活動、社会奉仕活動の戦前における隆盛期の礎となりました。その後1940年(昭和15年)には教会員の増加に伴い、秋田に宣教師が建てた会堂を譲り受け、現在の場所に「大会堂」を建設。日中戦争から第二次大戦中での戦時思想統制下、反戦、平和主義者の賀川豊彦及び小川清澄両牧師は一時憲兵隊により拘引されるという事態が起きました。松沢教会は戦後、賀川、小川両牧師に導かれ教会の復興に着手し、賀川豊彦のキリスト教伝道が再開されました。
1964(昭和42年)年には現在の新会堂「賀川記念会堂」が建設され、今日に至っています。
賀川豊彦により創立された松沢教会は、現在も神の御言葉を宣べ伝え、キリストによる救いを証し、人々に生きる拠り所を指し示す伝道に努め、神のいつくしみと恵みにより、豊かな信仰生活を育んでいます。
牧師からのメッセージ
「これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。」
キリスト教と言えば、「愛」と言う言葉を連想する方も多いのではないでしょうか。確かに、大正デモクラシーの時代、美を価値観とした日本文学に代わった価値観に基づく新しい文学をとの模索があり、愛を語るキリスト教に触れた文学者も多くありました。
成功したのかどうかは、わかりませんが、今や、歌の世界では、「愛」を歌うことが定着しているようです。かつては、愛ではなく恋の歌だったのですが。結婚式を頼まれて、最初に聞くのが、「恋愛結婚でしょ。では、愛と恋の違いは何」です。愛した人は、恋人と言い、愛人とは言いません。実は、愛という言葉は本来、清いイメージではなかったのです。
それがいつしか「愛しています」と言えるようになったのですから、時代も変遷しています。
愛とは何でしょうか。聖書は「愛は、すべてを完成させるきずな」と言います。愛とは、関係なのです。愛の反対語はと言うと、憎しみという方があります。愛がないところに憎しみは起こりません。かかわりがあるから憎しむことが起きるのです。愛の反対語は、無関心、無責任等、無関係ということになります。「きずな」というのは関わることです。
人には、裏切りもあれば、限界もあります。真実な愛は難しい。真実な愛は、真実なる神にのみあります。それが、御子イエス・キリストの十字架です。大切なことは、正しい関係です。適切な距離感と、正しい関係性、それなくして真実な愛はありません。そうでないと憎しみとなり、殺意となるのです。
愛は、適切で正しい距離感を必要とします。正しさが、すなわち「義」がなくては真実な愛とはならないのです。神のみ義なる方。神との交わり失くして真実な愛はなく、本当の救いはありません。神の愛であるイエス・キリストを訪ねてみませんか。
北 紀吉
1952年 石川県金沢市出身。
1972年 若草教会にて井上良彦牧師より受洗。
1980年 東京神学大学卒業。
茨木教会、清水教会、愛宕町教会を経て、
2015年より松沢教会牧師。
日本基督教団 常議員、社会委員長、伝道委員長
伝道推進室委員 東海教区議長等を歴任。
趣味は「農」、「漁」に関わること。