ご近所の辻で不動産屋の営業のお兄さんがチラシをまいていました。建て売りの出物があるので是非とお勧めされました。もう僕はこの近くに住んでいるのでと答えるとお兄さん曰く、自分は営業でここに立たされてるんだけど、この町ってどんな町ですか?と。僕は「いい町ですよ」と即答しました。そのあとも雑談を少々。
「いい町ですよ」の「いい」の中身を深く考えもしませんでした。町の落ち着いた雰囲気とか、サミットがあって日常生活に事欠くことはないとかで「いい町ですよ」と答えたのではありません。何がどうと説明できない、でもこの町に住んでいる”体”が「いい」と思っている。そんな感覚です。それは信仰にも似たところがあるなと思いました。礼拝とか聖書の教えとか交わりとか要素はあるけど、ともかく信仰は「いい」と言わせていただけるのでした。