サミットにお遣いにいく行き帰り、踏切で立ち往生することがしばしばあります。
東京で暮らしはじめるまで、踏切には縁のない生活をしてきました。当初は踏切が開くのを待つことも新鮮でしたが、日常のこととなるとやはり“長いな”としか思えません。電車が何本も通り過ぎるのを待つ間、いらちな僕はいつまでと思わずにいられません。自転車も人もどんどん混み合ってきます。行き交う電車にため息がこぼれるのが聞こえます。時に10分近く待ってる気がするのですが、そこでいつも自分に言い聞かせるのです。「やまない雨はない、明けない夜はない、上がらない上北沢の踏切はない」と。
「わたしは道である」とおっしゃるイエスさまがいつも見えますように。神さまの祝福と恵みを祈ります。